「このまま私、埋もれてしまうのかな…」
「本当は、もっと自分らしく輝ける場所があるはずなのに…」
子育ての合間にふとよぎる、その気持ち。
かつて英語力を武器に活躍していた自分が、遠くに感じてしまう。
高い英語力、豊富な知識、そして、誰かの役に立ちたいという想い。
それら全てを持っているのに、活かしきれていない「もどかしさ」。
時間や場所に縛られず、家庭も自分も大切にしながら、もう一度、社会で「私」として輝きたいという切実な願い。
もし、あなたがそんな想いを抱えているなら、この物語は、きっとあなたのためのものです。
これは、「ネイティブ発音」という武器を手に入れ、自信を取り戻し、「英語コーチ」という働き方で、時間も場所も収入も、そして「自分らしい生き方」も手に入れた、一人の女性の軌跡。
そして、あなたにも同じ未来が訪れる可能性を示す、希望の物語です。
「好きな時間に、好きな場所で働ける」— 私が手に入れた現在地

改めまして、こんにちは。
ネイティブ発音英語コーチ養成プログラム「Eキャリ」代表の吉留春佳です。
今の私は、英語を活かして理想の働き方を実現したいと願う、かつての私のような女性たちをサポートすることに、情熱を燃やす日々を送っています。
英語コーチとして起業し、会社員時代以上の収入を、自宅にいながら実現しました。

学校から帰ってくる子どもに「おかえり!」と笑顔で言える毎日。
大切な家族との時間も、自分の成長も犠牲にしない。
そんな、私が心から望んでいた働き方を、「ネイティブ発音」を武器に手に入れることができました。
でも、ほんの数年前までの私は…
何をやっても続かず、自信を失い、収入ゼロ。
「私なんて…」と、自分の価値を見失いかけていた、ただの専業主婦だったのです。
涙の記憶と、恩師がくれた「信じる力」

ある日、公園へと続く川沿いを、小学1年生になった娘と手をつないで歩いていた時のこと。
突然届いた、大学時代の恩師の訃報。
こらえきれずに涙が溢れ、しゃがみこんでしまった私に、娘が心配そうにかけよってきました。
「ママ、大丈夫?」
その声に、さらに涙が止まらなくなりました。
恩師は、英語が決して得意ではなかった私に、いつも静かに、でも確かな眼差しで言ってくれました。
「はるかなら、きっとできる」と。
大学時代、英語の専門書が読めなくて、英語で意見も言えなくて、何度も落ち込み、自信をなくしかけた私。そんな時も、先生は決してプレッシャーをかけることなく、ただただ私の可能性を信じ、見守ってくれました。
誰かに「信じてもらえること」が、どれほど大きな力になるか。
その温かさが、今の私の活動の、そしてEキャリの根幹にある「原点」です。
英語との出会い、そして「発音」が私を変えた
英語なんて縁がなかったこども時代

私は九州・宮崎県ののどかな田舎町で育ちました。
三姉妹の次女で、ひょうきんでちょっとお調子者な性格は、今でもあまり変わっていないかもしれません。
妹が生まれたときは、とにかく嬉しくて、可愛くて仕方ありませんでした。面倒を見るのが自然と当たり前になっていて、「ちっちゃいママみたい」と言われることもよくありました。
「はるちゃんって、本当に気が利くね〜」そんなふうに言われるのが嬉しくて、妹がくしゃみをすればティッシュをすかさず取りに行き、鼻をふいてあげるような、妹を溺愛する女の子でした。
英語との出会いは、ゼロ。

そして、英語との接点はというと…まったくのゼロ。
小さい頃は「英語って何?」というくらい、英語の存在すら知らなかったんです。
そんな私に衝撃が走ったのは、小学6年生の時。
クラスにアメリカ人の女の子が転校してきました。
「仲良くなりたい!」でも、何も言葉が出てこない。言いたいことはたくさんあるのに、英語を知らない私は、ただただ身振り手振りでアタフタするばかり。
「あ〜!伝えたいのに、伝わらない〜!」
もどかしくて、恥ずかしくて、「英語」に対してすごく印象に残っている出来事でした。
中学生:ABCからのスタート

中学生になって、やっと英語との本格的な出会いがやってきました。
中学1年生ではじめて、アルファベットの読み書きからスタート。周りと同じように「教科」として英語を勉強していただけですが、なぜか成績は良くて、常に学年で10番以内をキープしていました。
田舎の中学校だったこともありますが、自分では「私は頭がいいほうなんだ」「英語、得意かも!」なんて、ちょっぴり自信を持っていました。
目立ちたがり屋な性格もあって、中学3年生では生徒会に立候補して、副会長に。

部活では、バスケットボール部に所属していましたが、プレーはびっくりするほど下手でした(笑)。それでも、副部長に選ばれて、大きな声で応援しまくって、ベンチをしっかり温めていました。
ちなみに、当時はお笑い芸人の山田花子さんがテレビによく出ていて、髪型が似ていた私は「花子」と呼ばれていました(笑)。
今思えば、英語を「話す」なんて感覚はまだまだ遠く、「英語=テスト科目」というイメージしかありませんでした。
でも、英語に対して
「なんだか楽しい」
「なんか好きかも」
という気持ちは、心のどこかに確かに芽生えていたように思います。
高校時代:進学校へ

高校は地元の進学校に進みました。
中学時代の成績の良さもあって、1年生と2年生は特進クラスに在籍していました。
部活はサッカー部のマネージャーを選びました。実は、他校に好きな人がいて、その人がサッカー部に入るって聞いていたからなんです。でも…実際には、その人、サッカー部に入ってなかったんですよね(笑)。
「えっ、入ってないんかーい!」
って、思わず心の中でツッコミながらも、マネージャー業は頑張っていました。
そんな恋多き女子高生だった私にも、高校2年生のときに“本当の春”がやってきました。初めての彼氏ができたんです。
そこからは…恋に夢中!
勉強どころじゃなくなって、成績はみるみるガタ落ち。
そのままズルズルと受験期に突入し、高校3年生の夏に失恋。
心も勉強もぐちゃぐちゃで、集中できないまま、受験を迎えることになってしまいました。
大学受験失敗、人生最大のどん底へ

そして、大学受験で大・大・大失敗をしてしまいました。
受けた大学は、ことごとく不合格。
「私の人生、終わった…」
弱冠18歳の私は、ベッドの中で毎日泣き続けていました。
そして迎えた、最後の受験校。
地元・宮崎公立大学の国際関係学部の試験当日の朝、母に私はこう言いました。
「浪人してもいい?予備校行ってもいいよね?」
最初から親のお金で浪人する気満々な、なんとも図々しい態度の私。
そんな私を見かねて、母はひとこと——
「この大学に落ちたら、働きなさい」
その言葉が胸にグサッと突き刺さって、涙を流しながら試験会場に向かいました。
その時の道の景色、風の冷たさ、涙で目が腫れぼったい感じ…今でもはっきり覚えています。
そして、どうにか、こうにか、宮崎公立大学に合格。

受験の時には、大学に落ち続けて落ち込む私を奮起させようと厳しいことを言ってくれた母。
合格後は、「浪人して行きたい大学を目指してもいいんだよ」
と、何度も言ってくれました。
でも、素直になれなかった私は、
「もういい!お母さんが“落ちたら働け”って言ったやん!」
と反抗的な態度ばかり取っていました。
今思い返しても、本当にひどい態度だったなぁと反省しています。
こうして私は、唯一合格した地元の大学に通うことになりました。
…が、大学1・2年生の頃はどうだったかというと——?
自暴自棄になっていた大学1・2年

正直、自暴自棄になっていました。
自分の実力不足を棚に上げて、大学に通わせてもらっている親への感謝の気持ちもなく、「私、なんのために大学に通ってるんだろう?」と悶々とする日々でした。
特に印象に残っているのが、アメリカ人の先生による英語の授業です。
「ちんぷんかんぷんで、何を言っているのかさっぱりわからない…」
出された宿題も理解できず、周りの学生に聞いてやっと内容がわかるという始末。授業についていけないもどかしさと焦りから、どんどん自信を失っていきました。
大学1年の夏には「大学やめたい!」と騒ぎ出し、家族会議を招集。“はるか、大学やめるってよ”騒動を巻き起こしたのも、この頃です。
でも、そんな私でも、心のどこかではずっと思っていました。
「こんなダメな自分が嫌だ。どうにか変わりたい」
迷走しながらも、自分を変えたくて、大学1年の後期から始まった中国語の授業に興味を持つようになりました。

そこで思いきって、中国語学科のある大学の編入試験を受けに行きました。
…が、明らかな勉強不足と実力不足で、あえなく不合格。
次に挑戦したのは、大学が提携している中国の大学への交換留学制度。
今度こそ…と思いましたが、これもまた不合格。不合格が続き、
「私って、何をやってもダメなんだ」と思い込むようになってしまいました。本当に本当に、自信が持てない自分になっていったのです。
人生を変える恩師との出会い

できない自分にモヤモヤしながら、2年間の大学生活を過ごしていた私。
しかし、人生を大きく変える出会いが待っていました。
「この先生のゼミに入れば、英語が話せるようになるらしい!」
そんな噂を聞きつけ、門を叩いたのが、英語音声学のゼミでした。
(※英語音声学とは、英語の発音について専門的に学ぶ学問のことです)
恩師の、まるでネイティブのような深みと響きのある英語に衝撃を受け、「私もあんな風になりたい!」と強く願ったのです。

そこから始まったのは、想像を超える「英語漬け」の日々でした。
バイト禁止、勉強最優先。夏休みも返上で、朝から晩まで発音練習、ディスカッション、TOEIC学習…。
「日本語禁止」のルールの中、最初は悔しくて涙することも。
でも、恩師の「はるかなら、できるよ」という言葉と、仲間との励まし合いが、私を支えてくれました。
そして、ここで私は「発音の真実」に出会います

“water”がなぜ“ワーラー”に聞こえるのか?
なぜ、日本人が話す英語はなんかちょっと違うのか?
発音には明確な「ルール」があり、それは感覚ではなく、理論で学べること。そして、正しい練習をすれば、誰でも必ず変われること。
英語音声学を通して「発音のルール」を体系的に学んだ私は、まるで霧が晴れるように英語の音がクリアに聞こえ始め、自分の口から出る音も、驚くほどネイティブに近づいていきました。

夏休みを終える頃には、TOEICスコアが200点もアップし750点に!
何より、あれほど怖かった「英語を話すこと」が、「楽しい!」に変わっていたのです。
この経験が、私に揺るぎない確信を与えてくれました。
「発音」が変わると、自信が生まれる。
そして、その自信は、人生そのものを変える力になる、と。
この「ネイティブ発音」との出会いこそが、私の人生を大きく変え、そして後のEキャリの原点となったのです。
カナダ留学で分かった英語で広がる人生の選択肢

大学で得た自信とスキルを胸に、カナダへ留学。現地の発音スクールにも通い、さらに発音を磨きました。

英語で世界中の人々と繋がり、価値観が広がる経験は、「英語が話せると、人生の選択肢が無限に広がる!」という実感を与えてくれました。
英語を仕事に。8年間の社会人経験で得たもの

卒業後は、その英語力を武器に、地元企業で8年間、国際部門で活躍。「英語ができること」が私の誇りであり、充実した日々でした。
しかし、人間関係のストレスや働き方への疑問を感じる中、結婚・転居を機に退職。
待望の妊娠を経て、専業主婦としての生活が始まりました。

喜びも束の間、待っていたのはワンオペ育児の厳しい現実。社会から切り離されたような孤独感、キャリアが止まってしまった焦り。「私、このままでいいの?」という不安が、常に心をよぎりました。
「子どもがいても、自分らしく英語を仕事にできたら…」
その願いを胸に、在宅ワークを探すも、ことごとく失敗。ハンドメイド、ブログ、WEBデザイン…何をやってもうまくいかず、自己肯定感は下がる一方。時給890円のパートを始め、「私の価値ってこの程度なのかな…」と落ち込む日々でした。
英語が出てこない!国際交流イベントでのショック

そんなある日、子どもと参加した国際交流イベントで、ある出来事が起きました。
ワクワクしながら会場に向かい、いざ話そうとした瞬間——
「……英語が出てこない!」
留学もしたし、仕事でも使っていたのに、口が動かない。頭が真っ白に。

「このまま英語が話せなくなったらどうしよう…」
「前みたいに英語が話せる自分に戻りたい!」
「また英語を使って仕事がしたい!」
この出来事が、「英語」への想いを再燃させ、介護施設のパートを6ヶ月で退職。
英語を学び直し、仕事につなげる気持ちを強くさせました。
「発音」が導いた、私だけの道
しかし、自分の英語に100%の自信を持てなかった私は「子供にだったら英語を教えられるかもしれない」と思い、子育て英語講師の資格を取得。親子向けの英語レッスンをはじめることにしました。

ですが、理想と現実は違いました。
✔︎レッスンの準備に時間もお金もかかる
✔︎低単価で自分を安売り
✔︎赤字続きで1人ブラック企業状態で疲弊
「保育園料すら稼げない」
「自分は何をやってもうまくいかない…」
「辛い。もう辞めたい。」
「もう一度、英語で輝きたい!」
その想いで、活動を始めたのに、またしても挫折しかけました。
「先生の発音、ネイティブみたい!」
そんな時、一筋の光が差し込みます。
レッスン生からのアンケートにあった、
「はるか先生の発音、ネイティブみたいでカッコいい!」
「どうやったら、そんな発音で話せるようになるんですか?」
という声。




ハッとしました。
「私、発音が強みだったんだ!」
大学時代、あれほど打ち込み、私の人生を変えてくれた「ネイティブ発音」。それが、私の「武器」であり、「価値」なのだと、改めて気づかされた瞬間でした。
そこから私は、大人向けの「発音」に特化した英語コーチングへと舵を切ります。
すると…
「“私だからできる”英語の仕事へ

「発音」に特化した英語コーチングをスタートすると
「発音がきれいなはるか先生から習いたい!」
と選ばれ、20万、30万円以上の高単価で成約ができるまでに変化。
そして、「はるか先生のおかげで人生が変わりました!」と感謝の声をいただけるまでになりました。
「やっと、“自分らしい英語の仕事”に出会えた」
こうして私は、
- 英語を教えることが好き。
- 発音が得意。
- それを必要としてくれる人がいる。
そんな“私にしかできないこと”で、人生を再出発することができたのです。
Eキャリ誕生:あなたの「翼」を創る場所

この経験を通して、私の心には新たな、そして強い想いが生まれました。
「私と同じように、英語力はあるけれど自信が持てない、キャリアに悩む女性たちが、本来の輝きを取り戻し、自分らしい人生を歩むための“きっかけ”をつくりたい」
その想いを形にしたのが、ネイティブ発音英語コーチ養成プログラム「Eキャリ」です。

Eキャリは、ただ英語を教える場所ではありません。
- あなたの「発音」を、誰もが聞き惚れるほどの「武器」に変え、揺るぎない自信を授ける場所。
- 科学的根拠に基づいた「発音指導力」と、心に寄り添う「コーチング力」を身につける場所。
- 在宅で、時間にも場所にも縛られずに「しっかり稼げる」ためのビジネススキルを習得する場所。
- そして何より、あなたが「英語コーチ」として、家庭も、自分自身も大切にしながら、誇りを持って輝ける「理想のライフキャリア」への滑走路となる場所です。
「私にもできるかな…」その不安、痛いほどわかります。
でも、大丈夫。自信ゼロだった私が、ここまで来られたのですから。
Eキャリには、私のすべての経験と、恩師から受け継いだ「信じる力」が詰まっています。
私があなたの可能性を信じ、あなたが自信を持って羽ばたくその日まで、全力で伴走します。
次は、あなたが輝く番です
受講生たちの変化
Eキャリでは、すでに多くの女性たちが、ネイティブ発音という翼を手に入れ、英語コーチとして新しいキャリアをスタートさせています。
ネイティブ発音で自信を手に入れた受講生の発音Before→Afterをご覧ください。
専業主婦歴10年から人気英語コーチに!
過去と今の自分のギャップに落ち込む日々。
本当の自分を取り戻せた



彼女たちも、最初はあなたと同じように、不安や迷いを抱えていました。
でも、一歩を踏み出したことで、人生は確実に変わったのです
発音が変わると、自信がつく。
自信がつくと、行動できる。
行動が変わると、人生が変わる。
これは、私が身をもって体験し、そして多くの受講生の変化を見てきた、紛れもない真実です。
最後に、あなたへ

英語が好き。その気持ちだけで、十分です。
あなたのこれまでの経験は、決して無駄ではありません。
むしろ、それが誰かの「できる!」を支える力になります。
もう、「私なんて…」と立ち止まるのは終わりにしませんか?あなたの可能性を、ここで解き放ちませんか?
It’s never too late. 遅すぎることは何もない。
あなただけの「輝く未来」への地図を描いてみませんか?
Eキャリであなたの一歩をお待ちしています。

ネイティブ発音で「選ばれる」英語コーチになる方法
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